住田町世田米
倉並のこれほど揃った所は少ない。柳田国男も称賛。
この地は古くから内陸部の江刺(岩谷堂)と気仙とを結ぶ重要な街道の中継地として栄えた。特に中世においては主要な産金地が数多く近接しており、平泉への黄金を運んだ道としてにぎわった。また世田米は若駒を育む優良な牧草があり、軍馬育成の盛んな昭和初期まで気仙一の人口を誇った。 柳田国男が、遠野からの帰り、この街を通ったときの紀行文と写真に写された宿場町特有の二階に高欄をめぐらした姿だけが往時の面影をとどめている。
小さい写真をクリックすると大きな画像を見ることができます。